アボット・フラー・グレイヴス(Abbott Fuller Graves) 2 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 2/04/2023 前回の記事に入りきらなかった、その他の作品(一部、同じ作品で色調などが違うものを含みます)。アボット・フラー・グレイヴス(1859-1936)の略歴や、このほかの作品は前回の記事で。Still Life with Roses, 1891PeoniesNearing Home, c.1905In My Wife's GardenHigh Tea リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
川目達の「金魚のダンス」 3/03/2023 3月3日、雛祭り。 そして、この日は“金魚の日”でもあるそう。 江戸時代、雛祭りに金魚鉢を一緒に飾る習慣があったことにちなみ、1990(平成2)年に日本鑑賞魚振興会が制定しました。 今回はその“金魚の日”に合わせて、金魚のイラストを1枚。 雑誌『コドモノクニ』1924年6月号掲載、川目達・画「金魚のダンス」です。 続きを読む
レーシー・ヘルプス(Racey Helps) 3/27/2024 1940年代半ば~1970年にかけて活躍した、イギリスの児童文学作家でイラストレーターのレーシー・ヘルプス(Angus Clifford Racey Helps, 1913-1970)。 “Racey Helps”で検索すれば、それは沢山のポストカードや絵本が売買されており、いかに彼の作品が人気だったか(今も人気か)が分かります。 彼がそれらの仕事を始めたのは30代になってから。偶然の巡り合わせがきっかけでした。 続きを読む
アボット・フラー・グレイヴス(Abbott Fuller Graves) 2/04/2023 花と庭園を描いたアメリカの画家&イラストレーター、アボット・フラー・グレイヴス(Abbott Fuller Graves, 1859.4.15-1936.7.15)。 マサチューセッツ州の労働者階級の家に生まれた彼は、家計を助けるために一度は学校をやめ、温室で花の世話をする仕事に就きました。元々花が好きでその仕事を選んだのか、たまたま就いた仕事がそれだったのか、いずれにしろこの時の経験が、後の創作活動でのテーマ選びにも影響していることは確かでしょう。 続きを読む
ベップ・ヨルデンス (Bep Jordens) 2/12/2024 オランダの画家、イラストレーターのベップ・ヨルデンス(Bep Jordens, 1903-1987/別名義にElisabeth Wilhelmina Jordens または Bep Iordens)。 1920~30年代を中心に絵本やポストカードを描いていました。 少なくとも10冊以上の絵本を描き、1980年代末まで存命だったにも関わらず、その人生については生没年以外ほとんど何も見つけることが出来ません。 ベップ・ヨルデンスが手がけた絵本 Invaluable.com 同じオランダ出身のイラストレーター、ヘンリエッテ・ウィルビーク・ル・メール(1889-1966)やリー・クラマー(1887-1977)を彷彿とさせる作風は、彼女たちに比べるとやや線が硬いものの素朴な魅力があります。 上の4枚は“De familie Mummelgraag”の挿絵のポストカード “De familie Mummelgraag”(1931年)の本文はオランダ王立図書館のwebサイトDBNL内の こちら から閲覧、ダウンロードもできます 続きを読む
“ベルギーのミュシャ” アンリ・プリヴァ=リヴモン 9/09/2024 ベルギーの画家、デザイナーで、特にアールヌーヴォースタイルの広告ポスターで知られるアンリ・プリヴァ=リヴモン(Henri Privat-Livemont, 1861-1936)。 本名はアンリ・プリヴァ・アントワーヌ・テオドール・リヴモン(Henri Privat Antoine Théodore Livemont)で、作品のサインは主に “プリヴァ=リヴモン” または、“テオドール”の “T” を加えた “T・プリヴァ=リヴモン” と書かれています。 実は、彼の名前が“アンリ・プリヴァ=リヴモン”と表記されるようになったのは割と最近になってから。1991年のサザビーズのカタログにおいて、そう表記されたのが最初だったようです。その後、Wikipediaで彼の項目にアンリ表記が使われるようになり、ネットを中心にアンリ表記のほうが主流になっていったそう。この辺り、歌川広重と安藤広重みたいなもので(広重自身は絵師として“安藤”を名乗ったことはない)、だとしたらいずれまた表記が変わることもあるかもしれません。 アンリ・プリヴァ=リヴモンが生まれたのは、ブリュッセルの都市スカールベーク(スハールベーク)。 13歳で美術学校に入学したプリヴァ=リヴモンは、ブリュッセルのアカデミーを首席で卒業後、奨学金を得てパリに留学します。 1886年と1887年には、サロンに出展。 1883~1889年までは、パリ市庁舎の改修などを手がけたルメールらのスタジオで学びながら、装飾家としての経験も積みました。パリ市庁舎の改修にはプリヴァ=リヴモンも装飾家として参加しています。 パリで出会い、作品のモデルも務めた女性と1889年の夏に結婚。直後に故郷スカールベークに戻ると、画家、イラストレーター、装飾家として働き始め、1990年には自分のスタジオを設立しました。画家としては“象徴主義”に分類されているプリヴァ=リヴモンですが、この頃は肖像画を描くことも多かったようです。 また、フランスのニュース週刊誌"Le Monde Illustré(ル・モンド・イリュストレ)"などでも特派員という形で仕事をしていました。 ブリュッセルにある «Grande Maison de Blanc» のセラミックパネル(1896~1897年) source 建築家ポール・サントノワ邸のステンドグラ 続きを読む
ミロ・ウィンターのピーターラビット 5/30/2023 以前、1920年代に描かれた、 岡本帰一によるピーターラビット を紹介しましたが、今回はミロ・ウィンター(Milo Winter, 1888-1956)によるものを。 ミロ・ウィンターは、アメリカのイラストレーターで「不思議の国のアリス」をはじめ「アラビアンナイト」や「イソップ寓話」など様々な物語の挿絵を描いています。 「不思議の国のアリス」の挿絵 (1916年) こちらの“ピーターラビット”の絵本は1930年代後半に出版された作品で(初版は1937年?)、文章はビアトリクス・ポターの原文をそのまま使用しています。 が、おそらくこれも無許可版。前回も書きましたが、当時はまだ著作権の制度──特に他国間における制度が今ほど確立しておらず、アメリカを中心に翻案やキャラクターのみ使用したオリジナルまで、沢山のピーターラビット本が出版されました。 面白いのは、このミロ・ウィンター版ピーターラビットが出版された時、ウィンターはすでに成功した著名なイラストレーターだったこと。このことからも当時の“無許可版”は、現代の“海賊版”とはかなりイメージの異なるものだったことが窺えます。 続きを読む
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