イェニー・ニュストレム (Jenny Nystrom)


スウェーデンの画家、イラストレーターのイェニー・ニュストレム(Jenny Nystrom, 1854.6.13 - 1946.1.17 ※生年月日については、6月15日説もあり)。
生まれたのはスウェーデン南東部のカルマルです。5人兄弟の3番目生まれたイェニーは、4人の兄弟と両親のほかに、母方の祖父母と曾祖母、更にふたりの叔母の大家族の中で幼少期を過ごしました。
この当時の思い出は美しく幸せなものとして記憶され、彼女自身も語っているように、それが作品にも反映されています。

教師をしていた父親の転勤にともない、8歳の時にヨーテボリに引っ越し。女性の職業的な自立を目的とする女子学校(Kjellbergska flickskolan)に入学します。
1865年には、その年に設立されたばかりのヴァランド芸術学校(ヴァランド ファインアートスクール/Konsthögskolan Valand ※現在はヨーテボリ大学の一部となっている)で学ぶようになり、1873年にはスウェーデン王立美術院に入学。8年間学んだ後、パリ留学のための奨学金を獲得し、アカデミー・コラロッシとアカデミー・ジュリアンでも学びました。1884年にはパリのサロンで作品が展示されています。

王立美術院入学後、自活するために雑誌などでイラストを描いていたイェニー。彼女が挿絵を描いた物語が、初めて本として出版されたのは1875年のことでした。
その前年イェニーは、以前新聞に掲載された作家ヴィクトル・リュードベリ(1828-1895)のクリスマス物語に挿絵を描き、それをリュードベリの元に持ち込みました。
リュードベリはそれを気に入り、大手出版社ボニエ社に出版を提案しますが、ボニエ社は無名の画家の起用には乗り気ではなく、渋々(おそらくは有名作家の顔を立てて)引き受けはしたものの本が出版されることはありませんでした。
結局、本は別の出版社から出版されるのですが、この短いクリスマス物語は以降スウェーデンのクリスマスの定番となり、イェニー・ニュストレムの名も一躍有名になりました。
イェニー・ニュストレムが挿絵を描いたヴィクトル・リュードベリの "Lille Viggs äventyr på julafton(Little Vigg's Christmas Eve adventure)" 1875年

このヴィクトル・リュードベリの本の挿絵を元に、イェニー・ニュストレムは、スウェーデン版サンタクロースとも言える“ユールトムテ(Jultomte)”というキャラクターを生み出します。
北欧でユール(jul)は、冬至の頃に行われた祭りのこと。転じて今はクリスマスを指す言葉になっています。またトムテは農家の守り神のような妖精として、スウェーデンでは古くから親しまれている存在でしたが、そこにサンタクロース的な役割を与えたのがイェニー・ニュストレムでした。今ではスウェーデンのクリスマスといえばユールトムテというイメージが定着しており、イェニーも「ユールトムテを広めた画家」として知られています。

イェニー・ニュストレムが描いたユールトムテ

また、イェニーはパリ滞在中に商業イラストレーションの隆盛──殊にポストカード市場の急成長を知って関心を持ったようで、帰国後ボニエにポストカードの発行を持ちかけています。
ボニエはそれを断りましたが、こちらもその後、大きな成功をおさめ、売れっ子イラストレーターとなったイェニーは、生涯で数えきれないほどのポストカードやグリーティングカードを描くことになります。

結婚は1887年、イェニーが33歳の時。相手は医学生のダニエル・ストゥーペンダール(1853-1927)でした。
ダニエルは結核にかかったため学業を終えることができず、職に就くこともできなかったので、代わってイェニーが絵やイラストを描いて夫と息子を養いました。

一人息子のクルト・ニュストレム・ストゥーペンダール(Curt Nyström Stoopendahl, 1893-1965)もイラストレーターになり、母イェニーの跡を継いで、その作風を踏襲したポストカードやポスターを描いています。
クルト・ニュストレム・ストゥーペンダールの作品

女性としては初めてスウェーデン王室メダルを授与され、カール・ラーションらと共に革新的な芸術家協会に所属するなど、アーティストとしてスウェーデン美術界に地位を得たイェニー・ニュストレム。
しかし生涯描き続けたのは、幼い頃のカルマルでの日々でした。懐かしく美しい風景の中に遊ぶ子どもたちを描いたカードは、今でも新たに印刷され続け人気を博しています。


【Gallery】








































※ “Jenny Nystrom”の仮名表記については当初 “イェニー・ニーストロム”としていましたが、“イェニー・ニュストレム”のほうが一般的なようなので、ここでは“ニュストレム”としました。





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