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ドロシー・ヒルトン(Dorothy Hilton)の"オレンジとレモン"

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19世紀末から20世紀初頭にかけての美術史に、ほんのチラリと姿を現し消えていったドロシー・ヒルトン(Dorothy Hilton/Dorothy Frances Hilton)。 これは彼女がデザインし、今も商品化されている子ども部屋用の壁紙"Oranges and Lemons, Say the Bells of St. Clements"(1902年)です。 タイトル通り、マザーグースの“オレンジとレモン”を歌いながら遊ぶ子どもたちを題材にしており、元々はウィリアム・モリスなどの高級壁紙を生産していたジェフリー&カンパニー(Jeffrey and Company, 1836~1930年まで営業)で販売されていました。 日本で最初にこの作品にスポットが当たったのは、2018年に開催された『ウィリアム・モリスと英国の壁紙展』辺りでしょうか。その当時に比べて、このイラストを使用した商品の数は増えたと感じますが、その作者については相変わらず、ほとんど何も情報がありません。 確かなのは、バーミンガムを拠点としてアーツ・アンド・クラフツ運動に参加し、少なくとも1910年代前半までは、美術雑誌“The Studio”や展示会のカタログに名前が登場すること。 また、クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館のサイトによれば、姉妹のアグネス・ヒルトンもデザイナーでイラストレーターでした。

イェニー・ニュストレム (Jenny Nystrom)

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スウェーデンの画家、イラストレーターのイェニー・ニュストレム(Jenny Nystrom, 1854.6.13 - 1946.1.17 ※生年月日については、6月15日説もあり)。 生まれたのはスウェーデン南東部のカルマルです。5人兄弟の3番目生まれたイェニーは、4人の兄弟と両親のほかに、母方の祖父母と曾祖母、更にふたりの叔母の大家族の中で幼少期を過ごしました。 この当時の思い出は美しく幸せなものとして記憶され、彼女自身も語っているように、それが作品にも反映されています。 教師をしていた父親の転勤にともない、8歳の時にヨーテボリに引っ越し。女性の職業的な自立を目的とする女子学校(Kjellbergska flickskolan)に入学します。 1865年には、その年に設立されたばかりのヴァランド芸術学校(ヴァランド ファインアートスクール/Konsthögskolan Valand ※現在はヨーテボリ大学の一部となっている)で学ぶようになり、1873年にはスウェーデン王立美術院に入学。8年間学んだ後、パリ留学のための奨学金を獲得し、アカデミー・コラロッシとアカデミー・ジュリアンでも学びました。1884年にはパリのサロンで作品が展示されています。 王立美術院入学後、自活するために雑誌などでイラストを描いていたイェニー。彼女が挿絵を描いた物語が、初めて本として出版されたのは1875年のことでした。 その前年イェニーは、以前新聞に掲載された作家ヴィクトル・リュードベリ(1828-1895)のクリスマス物語に挿絵を描き、それをリュードベリの元に持ち込みました。 リュードベリはそれを気に入り、大手出版社ボニエ社に出版を提案しますが、ボニエ社は無名の画家の起用には乗り気ではなく、渋々(おそらくは有名作家の顔を立てて)引き受けはしたものの本が出版されることはありませんでした。 結局、本は別の出版社から出版されるのですが、この短いクリスマス物語は以降スウェーデンのクリスマスの定番となり、イェニー・ニュストレムの名も一躍有名になりました。 イェニー・ニュストレムが挿絵を描いたヴィクトル・リュードベリの "Lille Viggs äventyr på julafton(Little Vigg's Christmas Eve adventure)" 1875年