佐伯春虹(SAEKI Shunkō)
富山県出身の日本画家、佐伯春虹(SAEKI Shunkō, 1909-1942)。
将来を嘱望されながら33歳の若さで亡くなり(詳しい病名などは不明)、ほとんど忘れ去られていた彼の存在に光があたったのは、2006年のことでした。東京都港区の森美術館で開催され、その後ベルリンにも巡回した『東京-ベルリン/ベルリン-東京展』─そこに春虹の作品「茶苑」(1936年)が展示されたことがきっかけで、再び注目を集めるようになったのです。
日本画の中に近代的な題材を取り入れた作品は日本のモダニズムという文脈で海外でも紹介され、今や、このブログを含めネットの海のそこかしこで彼の作品を見かけるようになりました。が、早世であったことと、長らく無名のままだったことで、情報はあまり多くはありません。それどころか表に出ているもので確実に彼の作品だと言えるものも数えるほどしかない状態です。
その中で辛うじて見つけた情報は以下の通り。
富山県出身の日本画家、佐伯春虹(1909-1942)─伊東深水に師事し、十代でパリ万博に作品を出品するなど、その才能は高く評価されていましたが、33歳の若さで病没。活躍期間の短さが惜しまれます。
— カトウ・ニニ。 (@ninikatu) April 13, 2024
画像は20代後半の作品「茶苑」(1936年)。 pic.twitter.com/rz1O9eaenl
ただ、その後もいろいろ確認してみたところ少し疑問点も出てきたので、その辺も含めて改めて。
1909(明治42)年、富山県で生まれたとされる佐伯春虹。上記ツイート(ポスト)の情報は富山県のホームページで確認できるのですが、そこでは“17歳で伊東深水に入門、昭和2年にパリ万博に出品”となっています。公のサイトでもあることから、それ以上確かめもせずに「入門してすぐに、師の推薦を受けるなどしてパリ万博にも出品したのだろう」とすんなり納得してしまいましたが、昭和2年(1927年)にパリ万博は行われていませんよね?
佐伯春虹の存命中にパリ万博が開催されたのは1925年と1937年。1925年には15~16歳です。絶対とは言えませんが、ここで出品したとは考えにくいでしょう。
一方、伊東深水の門下に入った時期について。伊東深水が佐伯春虹も在籍していたとされる画塾を開いたのが1927年の2月なので、満年齢の17歳で師事することは可能です。
おそらく“昭和2年”は万博参加ではなく、伊東深水に師事した年の間違いではないでしょうか。あるいはその年のうちに、何か万博に準ずる(正式には万国博覧会ではない)イベントがあったのか。
なにしろ作品と生没年以外の部分に言及しているものがほとんど無いため、複数の資料にあたって確かめるということができません。
もう少し詳しい情報が新たに出てくるのを待ちたいと思います。
«作品»
「茶苑」1936年
佐伯春虹が再注目されるきっかけになった、彼の代表作ともいえる作品
揃いの制服を着た喫茶店のウェイトレスが描かれています
「茶房」1939年
「支度」1935年頃
画像の引用元では「装い」としているようですが「支度」としているものもあり、迷いましたが、ここでは「支度」を採用しました
「傘」1938年以降
「Angela」1940年
ドイツに本社があるオークションハウス、レンペルツのカタログにも掲載されていたのを確認しているので、佐伯春虹の作品であることは確かなのだろうと思いますが、なぜタイトルが「Angela」なのかなど少し謎
このほかにも富山県上市町の文化財に指定されている「織姫図幅」、タイトルがわかっていても作品が確認できないものなども。
短い生涯での総作品数がどのくらいだったのかわかりませんが、その多くが埋もれたままになっているか、あるいは既に失われてしまったかもしれないと思うと残念でなりません。
今後、画家自身についての研究が進み、埋もれていた作品が更に世に出てくることを願います。
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