古屋白羊 (FURUYA Hakuyo)


 戦中から戦後にかけて、本の挿絵や絵本を描いていた画家、古屋白羊(FURUYA Hakuyo, 1899-1959  ※“古家白羊”名義のものもあります)。
主に戦後に描かれた絵本がとても可愛いのですが、確認できる作品群から察するに活動期間は10年余りと短く、本名が古屋輝義(てるよし)であることと生没年以外の情報が見つかりません。

大きく再評価されない限り、いずれ忘れられた画家のひとりになっていってしまうのかもしれませんが、幸い今のところは国立国会図書館のサイトや古書で比較的容易にその作品に触れることができます。
絵そのものの魅力だけでなく、描かれたあれこれから当時の子どもたちの暮らしの様子が見えて、資料としても興味深い。

多くの人が関心を持てば、それにつれて新しい情報も出てくるのでは…という期待も込めて、特に可愛いところを御紹介します。

「おままごと」1948(昭和23)年

揃えて置かれた下駄の可愛らしさ♥

ふたつ折りにした座布団をおんぶ
これは必ずしもお人形を持っていないからというわけではなく(そういう場合もあったでしょうが)、子どもにとってはこのほうが重さや大きさが、より赤ちゃんを背負っている気分になれるから。昭和中期くらいまでは、よく見られた遊び方です。

「なかよしこよし」1948(昭和23)年


「たのしいおうち」1951(昭和26)年


「金太郎」(福島のぶを・文) 1951(昭和26)年


昔のセルロイドの玩具のようなウサギ

「じゃんけんぽん」(福島のぶを・文)

1951(昭和26)年

カステラやビスケット、キャラメルに“おコーチャ(紅茶)”の洋風おやつは、当時の子どもの憧れでもあったのでしょう。


「たのしいゆうえんち」(福島のぶを・文)

1951(昭和26)年

古屋白羊は、よく遊園地の遊具として象の滑り台を描いていますが、これは当時本当に遊園地の中に児童公園のようなエリアが併設されていたのでしょうか。それとも、まだまだ誰もが気軽に遊園地に行くことができない時代、あえて身近な遊具も一緒に描いたのでしょうか。

「ものしりずくし」1952(昭和27)年


「こどもデパート」1952(昭和27)年

タイトルは“デパート”ですが、描かれているのは町の個人商店。かつてどこにでもあった商店街の風景が懐かしく楽しい。

「おとぎのくに」1952(昭和27)年

おとぎ話のキャラクターが一堂に会して、仲良く遊ぶ「おとぎのくに」
龍宮城の魚たちは赤いトゥシューズにドレスで、舌切り雀と一緒に踊ります。


「どうぶつのくに」1953(昭和28)年


「たのしいピクニック」1953(昭和28)年

ボンネットバス
日本では既に製造が中止され、観光用などごく一部の利用を除いて姿を見ることはなくなったボンネットバスですが、1950年代までは大多数のバスがこの形だったそう。

「はなしの絵本」1952(昭和27)~1954(昭和29)年

絵本の形として特に面白いのが、この「はなしの絵本」シリーズ。
ページが上下2段に区切られていて、ふたつのお話が同時に進行していきます。



なかなか斬新な試みに思えますが、当時はまだ紙の不足や、それによる価格の高騰などが断続的に続いており(供給が安定したのは昭和30年代になってからと言われています)、或いはこれも、少ない紙で少しでも多くのお話を子どもたちに届けるための工夫だったかもしれません。




とはいえ、シンデレラと証城寺の狸囃子の組み合わせは、ちょっとシュール。

◊戦時中に出版された作品◊

「オソラノクモ」(福島のぶを・文)

1941(昭和16)年12月

これは“古家白羊”表記。
“古屋”と表記するようになったのは、戦後からのようです。





江戸時代には白い着物を着せるのが一般的だったという、晴天のおまじない“てるてる坊主”。
挿絵などでも昭和初期までは、この形で描かれているのが確認できますが、この頃でもまだポピュラーだったんですね。


童話集「八號館」(岡本良雄・著)

1943(昭和18)年

こちらも“古家”表記。
白羊はカラー3枚を含む16枚の挿絵を描いています。




余談ですが、この「八號館」は、大阪童話教育研究会が主催した、第1回日本新人童話賞受賞作(初出は岡本が仲間らと結成した同人の機関誌『新児童文学』)。
本として出版されたのが戦時下であった故か、序文こそプロパガンダ色が濃いめですが、実際には庶民の悲哀や細やかな思いを描くお話が多く、むしろ最終話の登場人物の『今は個を犠牲にしても、国策のために皆で協力し合うのが善』というような主張がなんとも平板に感じられ、作者の真意を他の部分に探りたくなってしまうほど。もともと岡本良雄が民主主義思想を根底に持つ作家であったことを考えれば、おそらくそのように(そして時節柄、表面上は如何様にもとれるように)書かれてもいるのでしょう。
出版元である“翼賛出版協会”的には、その辺りはどう評価していたのか、それとも中の人の真意もまた別のところにあったのか…
そもそも京橋の建築会館内にあり、翼賛会文化部と繋がりがあったらしいこの“翼賛出版協会”なる出版元、一見国策に沿った本を出版する組織のようでいて(実際そのようなタイトルの本を沢山出しています)、一方では戦時中にプロレタリア文学の作家の本を、大してその主張を曲げさせることもなく出版したりもしています。
過去の時代については、ついステレオタイプのイメージで捉えてわかっているような気になってしまいますが、実際にはもっと多様な側面があったこと…のみならず、そこに常に明確な意思があったと考えること自体が誤りかもしれないとも思ったのでした。



画像はすべて国立国会図書館デジタルコレクションから。岡本良雄の「八號館」も、こちらから全文公開されているものが読めますが、こちらは古屋(家)白羊の一覧なので、岡本良雄の作品をまとめて閲覧したい場合はこちらから。

ではまた次回。



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