もうひとりの “Florence Harrison(フローレンス・ハリソン)”
クリスティーナ・ロセッティやテニスンなど、沢山の有名詩人や作家の本に挿絵を描き、数十年に渡って活躍しながら、長らく「名前以外の情報は不明」とされてきた “エマ”・フローレンス・ハリソン。
イギリスに住むメアリー・ジェイコブズという人物が、クリスティーナ・ロセッティの本の挿絵に魅せられ、それを描いた画家 “エマ”・フローレンス・ハリソンについて調べ始めたことがきっかけでした。
メアリーは実に4年もの歳月をかけてエマについて調べ、その調査結果をウェブサイトで発表したところ、僅か数日後に画家の大姪である女性から手紙が届きます。そこには、画家の本当の名前はフローレンス・スーザン・ハリソンであり、メアリーが調べたのはスーザンとは別の画家であると書かれていました。
フローレンス・スーザン・ハリソンは、オーストラリア生まれのイギリス人であったこと。1920年代の初めにイギリスに渡り、ロンドンを拠点として仕事を続けた後、60代で従姉妹と暮らすために(彼女は生涯独身でした)ブライトンに移り、亡くなるまでそこで暮らしたこと。
幾つもの証拠も提示され、それが疑いようのない事実だということがわかると、2012年にはこれらの経緯を書いたサンディ・ハーグローブによる本も出版されました。
19~20世紀前半の画家フローレンス・ハリソン。
— カトウ・ニニ。 (@ninikatu) March 16, 2019
以前はエマ・フローレンス・ハリソンとして知られていましたが、近年それは同時代の別の画家らしいことがわかってきました。
有名な作家の挿絵を手がけ数十年に渡って活躍しながら、その生涯が殆ど知られていなかったのは、この時代の女流画家ならでは? pic.twitter.com/ZUPbzgGd1A
フローレンス・スーザン・ハリソン(Florence Susan Harrison, 1877-1955)のイラスト |
おそらくは、そういったウェブ上に残る過去の誤った情報が、時に正しい情報が広まる妨げになったりもしながら、しかしフローレンス・スーザン・ハリソンについては概ね情報が更新され定着しているようです。
─では、エマ・フローレンス・ハリソンは?
「ロイヤル・アカデミーに作品を展示した記録がある以外は詳細不明」とされてきた彼女の作品と人生は、どのようなものだったのでしょうか。
それについても、前述のメアリー・ジェイコブズの調査により、色々なことがわかっています。
生まれたのは1858年。イギリス、ウスターシャー州の裕福な工場経営者の長女として誕生したエマには、ふたりの妹がいたようです。
ウスターシャー州の私立学校で学んだ後、ロンドンのカレッジで美術を学びました。ロイヤルアカデミーに出展したのは20代後半で、それ以降目立った活動の記録は発見されていません。
こちらも独身で(少なくとも1911年の国勢調査の時点では)、妹たちと暮らしていたことが確認されています。
作品については、以前はネットに1枚だけ彼女のものとされる油絵があがっていたと思うのですが、今回これを書くにあたり再び探してみたところ、見つけることは出来ませんでした。
現在、エマ・フローレンス・ハリソンの作品として確認されているのは、ロンドンのA.Vivian Mansell&Coから出版された一連のポストカードのみ。今もヴィンテージとして市場に出てくることがあり、美しい妖精のイラストがコレクターに人気です。
エマ・フローレンス・ハリソン(Emma Florence Harrison)のポストカード 隅に“EFH”のサインが入っています picclick.co.uk |
“才能”と言ってしまえばそれまでですが、一方の画家(スーザン)が成功し、もう一方(エマ)は作品ごと埋もれ、成功したほうも代表作の多くはオーストラリア時代に描かれていること。それらの背景も前述の本に詳しいらしいのですが、邦訳はもとより原書も古書の個人輸入以外、入手方法は無いもよう。
もうひとりのフローレンス・ハリソンについても、更に広く情報が共有されることが待たれます。
そして、ふたりのフローレンス・ハリソンの事実が世に出るきっかけとなったメアリー・ジェイコブズさんの運営するサイトはこちら。
主にフローレンス・スーザン・ハリソンに関する研究結果と御自身のコレクション等が掲載されています。必見😊
Florence Susan Harrison “Poems” by Christina rosseti |
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