Carl Lindeberg(カール・リンドバーグ)


 スウェーデンで生まれ、ドイツで活躍した画家、イラストレーター、商業美術家のカール・リンドバーグ(Carl Lindeberg, 1876.10.6-1961.5.27)。
仮名表記は決まったものはなく、スウェーデンの姓なら“リンドベルイ”または“リンドベリ”、ドイツ語読みなら“リンドベルク”になりますが、一般には“Lindberg”と綴られることが多いため、“e”が入っても同じなのかも含めて正確には不明。ここでは便宜上、英語読みで“リンドバーグ”とします。

リンドバーグはストックホルムの美術学校で学んだ後、奨学金を得てコペンハーゲンやリューベック、パリを回り、ザクセンでグラフィック・デザインの見習いをした後に、更にドレスデンで学びました。

その後、大手の企業(※)に所属して劇場のポスターなど広告の仕事をしていた彼に転機が訪れたのは1916年のこと。
ドイツの国民的人気作家カール・マイ(1842-1912)の全集を出版していたカール・マイ社の共同創始者で、実質的な最高経営責任者のユーチャー・アルブレヒト・シュミットの知遇を得たリンドバーグは、カール・マイ社からイラストの依頼を受けます。
1920年にはフリーランスになり、カール・マイ社から常時雇用されるようになりました。
以降、全集の表紙を含め、リンドバーグが同社のために描いたイラストは400枚以上。
カール・マイの名前と共にカール・リンドバーグの名前も記憶されることとなりました。
実際、カール・マイ社の仕事をしていなかったら、リンドバーグのプロフィールも過去の数多の画家同様、“詳細不明”になっていたかもしれません。

※Union-Werke(ユニオン・ヴェルケ):ドレスデン郊外のラーデボイルにあった、金属製のポスターや広告、装飾的な包装資材のメーカー。最盛期には1000人を超える従業員を抱えていた。

カール・リンドバーグによるカール・マイ全集の表紙
(Carl May Wikiより)

リンドバーグは、カール・マイ作品のような冒険小説のイラストを他にも多く手掛ける一方、グリム童話の絵本やぬりえなど、子ども向けの絵も沢山描きました。
1926年には自身でも、子どもの本のための出版社を設立しています。

ぬりえと工作の本
絵本「ハメルンの笛吹」
Picclick

また、カール・リンドバーグは沢山のポストカードも描きました。
個人的には、彼の作品の中で一番好きなのはポストカードの仕事です。
パッと見、同じ画家のものとは気づかないこともあるほど、その時々で絵柄がかなり違いますが、それぞれが魅力的。
ある意味プロのコマーシャル・アーティストというのか、彼の場合は一目で誰の作品とわかる個性というよりは、状況に応じて変幻自在に作風を変えられること自体が個性と言えるかもしれません。

Via Pinterest

1945年、68歳の時にカール・リンドバーグはスウェーデンに戻りました。
帰国後については、これといった仕事の記録は見つかりません。
1961年に84歳で亡くなり、現在は世界遺産になっている、ストックホルムの“スコーグスシュルコゴーデン(森の墓地)”に埋葬されています。

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