ジョン・ディクソン・バトン(John Dickson Batten)



イギリスの画家、版画家、イラストレーター、ジョン・ディクソン・バトン(John Dickson Batten, 1860.10.8-1932.8.5)。
法廷弁護士の息子として生まれたバトンはケンブリッジのトリニティ・カレッジで法学を学んだあと、1884年からは法曹院(インナー・テンプル)に在籍していました。

彼がいつ、どういうきっかけで美術の道を志したのか詳しい経緯はわかっていません。が、法律家としての訓練を受ける傍ら、スレード美術学校でアルフォンス・ルグロ(画家・版画家・彫刻家/1837-1911)に師事したバトンは、1880年代後半には既に代表作に数えられる作品を発表していました。
ちなみにこのスレード美術学校は、法律家フェリックス・スレード(1788-1868)の遺志により、オックスフォード、ケンブリッジ、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの3つの大学に、美術教育のための資金が寄付されたことに始まっています。正式に美術学校として発足したのは1871年。バトンが学んでいた頃には、まだ比較的新しい学校でありケンブリッジとも縁が深いということで、バトンにとってここで学ぶことは、思いきった方向転換というよりは余技のつもりだった(少なくとも彼の保護者にとっては)可能性もあるかもしれません。

神話や寓話を題材にした絵画を多く描き、ロイヤルアカデミーなどで発表していたバトン。1890年代に入ると、歴史・民族学者のジョセフ・ジェイコブス(1854-1916)が編纂した一連の“おとぎ話”集の挿絵を手がけるようになります。
当時、子ども向けの本といえば、ドイツやフランスのおとぎ話の翻訳や再話が中心だったイギリス。これらの本の出版は民族学者ジェイコブスと、自身も民族学協会のメンバーだったバトンの、英語によるイギリス発のおとぎ話を提供しようとする試みでもありました。
文字通りのおとぎ話(Fairy Tail)のほか童謡や叙事詩、伝説、滑稽話など、様々なお話が収録されバトンの美しい絵で飾られた本は好評をもって迎えられます。最初の「イギリスのおとぎ話」に続いて、その続編や「ケルトのおとぎ話」、更には「インドのおとぎ話」や「ヨーロッパの民話とおとぎ話」など次々に新しい本が出版されました。
これらの仕事は、ジェイコブスとバトン双方の名声を高め、以降バトンは英語版「アラビアンナイト」やダンテの「神曲」などの大作の挿絵も手掛けました。

イラストレーターとしても成功を収めたバトンは、1890年代の終わりには、再び絵画─特に卵を使ったテンペラ画に目を向けるようになります。
中世の標準的な技法であり、油絵の具の登場により徐々にとって代わられたテンペラ技法。バトンは、金箔職人であった妻メアリーや、バーミンガムでアーツ・アンド・クラフツ運動に携わっていたアーサー・ガスキン(1862-1928)らと共に、テンペラ技法の復活と普及に尽力しました。テンペラ画家協会の幹事も務め、1922年には“テンペラ画の実践”に関する論文を発表しています。

また版画家としては、日本の浮世絵の技法をイギリスに持ち込んだことで知られ、その多くは同じく画家で版画家のフランク・モーリー・フレッチャー(1866-1949)と共同で制作されました。


“The Garden of Adonis- Amoretta and Time” 1887

【挿絵】
“English Fairy Tales”
イギリスのおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1890)

“Celtic Fairy Tales”
ケルトのおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1891)

“Indian Fairy Tales”
インドのおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1892)

“More English Fairy Tales”
続・イギリスのおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1893)

“More Celtic Fairy Tales”
続・ケルトのおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1894)

“European Folk and Fairy Tales”
ヨーロッパの民話とおとぎ話
(Author: Joseph Jacobs, 1916)


“The Book of Wonder Voyages”
不思議な航海
(Author: Joseph Jacobs, 1919)

“Fairy tales from the Arabian nights”
アラビアンナイト

“Dante's Inferno”
ダンテの神曲


【版画】
“Angel at church window”
(リトグラフ)

蔵書票 1894年
木版の一部をフレデリック・バトンが彫ったとされています(※注)。

“Eve and the Serpent” 1895年
(Print made by: Frank Morley Fletcher)
日本の技法を取り入れて、フレッチャーと共同で制作された最初の木版画。イヴのアウトラインのみ金属のブロックを使用。

“The Harpies” 1896年
(Print made by: Frank Morley Fletcher)

“Constance” 1901年
チョーサーの「カンタベリー物語」の挿絵として制作された作品。プリントは、妻メアリーによるものと言われています。

“Apples and Red Admirals” 1920年
Red Admiralは、ヨーロッパアカタテハのこと。

“The Tiger” 1924年


【テンペラ画】
“Snowdrop and the Seven Little Men” 1897年
バトンがテンペラで描いた最初の作品とされています。

“Beauty and the Beast” 1904年

“Pandora” 1913年

“Sleeping Beauty: The Princess Pricks Her Finger” 1914年



(※注):フレデリック・バトン(Frederick Eustace Batten, 1865-1919)はイギリスの医学博士で、神経内科と小児科の分野で功績を残した人物。
ざっと見た範囲では、ジョン・ディクソン・バトンとの関係について言及しているものはありませんでしたが、出生地や経歴・父親の職業を見る限りおそらく弟(法廷弁護士の父親の三男にあたる)です。
ジョンとの共同制作では、他にグリーティングカード(V&A博物館所蔵)などがあります。


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