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ウィニフレッド・ケイリー・ロビンソン(Winifred Cayley Robinson)

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画家フレデリック・ケイリー・ロビンソン(Frederic Cayley Robinson, 1862-1927)の妻としても知られる、イギリスの挿絵画家ウィニフレッド・ケイリー・ロビンソン(Winifred Cayley Robinson, 1861-1936)。 ロンドン近郊のサリー州で、株の仲買人ジョン・ランバート・ダリー(John Lambert Dalley)と妻メアリー(Mary)の間に生まれた彼女は、両親と弟二人、そして四人の使用人に囲まれて育ちました。 ケンジントンの美術学校で学んでいますが、それが王立美術学校なのか、ケンジントンにある別の美術学校なのか正確にはわかりませんでした。美術を学ぶようになった経緯や卒業後の経歴も不明。その署名で展示されたという“Winifred Dalley”の絵画作品も見つけることができませんでした。 彼女がフレデリック・ケイリー・ロビンソンと結婚したのは1898年の12月。以降、作品の署名も“Winifred Cayley Robinson”になったと考えられますが、現在確認できる作品が二つしかなく、その二つ以外に発表されたものがあるのかも不明です。 確認できる作品のうちの一つ L・V・ホジキン(Lucy Violet Hodgkin)著"Loveday Hambly and Her Guests"の口絵 AbeBooks.co.uk “Winifred Lucy Robinson”、“Mrs. Cayley Robinson”などと呼ばれることもありますが、一般には署名通り“Winifred Cayley Robinson”とされています。 代表作(といっても、ほかに作品はあまり無いわけですが)"The children's book of gardening"が出版されたのは1909年。 家族ぐるみの友人である作家のセシリー・シジウィック(Cecily Sidgwick, 1854-1934)が、エセル・ニーナ・ペイシェンス・ペインター(Mrs. Ethel Nina Patience Paynter, 18?? -1933)と共同で執筆した児童向けの園芸書の挿絵でした。 自分の娘バーバラとエセル・ペインターの娘ベティをモデルに描いたとされる12枚のカラープレートは今で

エセル・ヘイズのピーターラビット

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今まで、岡本帰一とミロ・ウィンターのものをとりあげてきた“無許可版”のピーターラビット。今回はアメリカの漫画家でイラストレーターのエセル・ヘイズ(Ethel Hays, 1892.3.13-1989.3.19)の絵本を。 ※当時の“無許可版”を取り巻く状況については こちらの記事 で説明しています。 エセル・ヘイズは元々、新聞連載の漫画を描いていた漫画家。1920~30年代にかけて、その分野で最も成功した女性の一人と言われています。 その後、結婚・出産を経て児童文学のイラストレーターとして活躍するようになりました(彼女の経歴については、またいずれ)。 ヘイズが描いたピーターラビットの絵本が出版されたのは1942年。前回のミロ・ウィンター同様、すでに確固たる地位を築いた上での仕事でした。 古書として流通しているものを見ると、表紙は少なくとも4~5種類はあるようです

佐伯春虹(SAEKI Shunkō)

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富山県出身の日本画家、佐伯春虹(SAEKI Shunkō, 1909-1942)。 将来を嘱望されながら33歳の若さで亡くなり(詳しい病名などは不明)、ほとんど忘れ去られていた彼の存在に光があたったのは、2006年のことでした。東京都港区の森美術館で開催され、その後ベルリンにも巡回した『東京-ベルリン/ベルリン-東京展』─そこに春虹の作品「茶苑」(1936年)が展示されたことがきっかけで、再び注目を集めるようになったのです。 日本画の中に近代的な題材を取り入れた作品は日本のモダニズムという文脈で海外でも紹介され、今や、このブログを含めネットの海のそこかしこで彼の作品を見かけるようになりました。が、早世であったことと、長らく無名のままだったことで、情報はあまり多くはありません。それどころか表に出ているもので確実に彼の作品だと言えるものも数えるほどしかない状態です。 その中で辛うじて見つけた情報は以下の通り。 富山県出身の日本画家、佐伯春虹(1909-1942)─伊東深水に師事し、十代でパリ万博に作品を出品するなど、その才能は高く評価されていましたが、33歳の若さで病没。活躍期間の短さが惜しまれます。 画像は20代後半の作品「茶苑」(1936年)。 pic.twitter.com/rz1O9eaenl — カトウ・ニニ。 (@ninikatu) April 13, 2024 ただ、その後もいろいろ確認してみたところ少し疑問点も出てきたので、その辺も含めて改めて。 1909(明治42)年、富山県で生まれたとされる佐伯春虹。上記ツイート(ポスト)の情報は富山県のホームページで確認できるのですが、そこでは“17歳で伊東深水に入門、昭和2年にパリ万博に出品”となっています。公のサイトでもあることから、それ以上確かめもせずに「入門してすぐに、師の推薦を受けるなどしてパリ万博にも出品したのだろう」とすんなり納得してしまいましたが、昭和2年(1927年)にパリ万博は行われていませんよね? 佐伯春虹の存命中にパリ万博が開催されたのは1925年と1937年。1925年には15~16歳です。絶対とは言えませんが、ここで出品したとは考えにくいでしょう。 一方、伊東深水の門下に入った時期について。伊東深水が佐伯春虹も在籍していたとされる画塾を開いたのが1927年の2月なので、満年齢の17歳で

レーシー・ヘルプス(Racey Helps)

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1940年代半ば~1970年にかけて活躍した、イギリスの児童文学作家でイラストレーターのレーシー・ヘルプス(Angus Clifford Racey Helps, 1913-1970)。 “Racey Helps”で検索すれば、それは沢山のポストカードや絵本が売買されており、いかに彼の作品が人気だったか(今も人気か)が分かります。 彼がそれらの仕事を始めたのは30代になってから。偶然の巡り合わせがきっかけでした。

イザベル・アダムス(Isabel Adams)の美しすぎる植物図鑑

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20世紀初頭のイギリスで出版された植物図鑑“Wild Flower of the British Isles(ブリテン諸島の野生の花)”。 女性の画家(その図鑑の著者でもある)による図版は植物分類学のためのものとしてはあまりに美しく、そのためにむしろ学術的には不当に低く評価されてきたとも言われています。 著者の名前はハリエット・イザベル・アダムス(Harriet Isabel Adams, 1863-1952)。一般には“H. Isabel Adams”として知られています。 イギリスのウスターシャー州生まれ。 アーツアンドクラフツ運動の中心地であったバーミンガム美術学校で学び、蔵書票のデザインや児童書の挿絵などを手がけました。 “アダムス”は父方の姓ですが、彼女が結婚していたかどうかや子どもの有無など私生活に関することは、ほとんど記録がありません。 〈 挿絵の仕事で唯一確認できる“Little Red Riding Hood and The History of Tom Thumb” (1895年) 〉 フロリダ大学のデジタルコレクション( こちら )で全文見ることができます イザベル・アダムスが植物学に興味を持ったきっかけや経緯なども不明ですが、1906年までには、分類学・博物学に関する世界最古の学術機関、ロンドン・リンネ協会のフェローに選出されており、更に別の協会(Botanical Society and Exchange Club of the British Isles)のメンバーだったことがわかっています。 ちなみにリンネ協会が女性を初めてフェローに選出したのが1904年なので、1906年はかなり早い段階。男性ならともかく、女性でその時期にリンネ協会の会員となったような人物の資料が、これほど残っていないことってあるのだろうかとも思うのですが、どうなんでしょう。 代表作である“Wild Flower of the British Isles(ブリテン諸島の野生の花)”は1907年に第1巻が、1910年に第2巻が出版されました。 学術的に最高水準とまでは言えないものの、初学者には十分な内容を備えたものでしたが、注目されたのは主にその美しい図版。著者が女性で、元々が画家だったこともあってか『植物分類学の本というより客間のテーブルの上に置くための装飾本』と揶揄

6枚の絵葉書(Norman Hartridge)

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イラストレーター、ノーマン・ハートリッジ(Norman Hartridge)については、以前Twitterで呟いた以上のことは未だ確認できません。 1920年代、主にポストカードを描いていたらしいノーマン・ハートリッジ。 情報は何も無く、作品もあまり多くは見つけることが出来ません。ただ幾枚かの古いポストカードだけが、21世紀の今もアンティーク市場に出回り続けている謎の(といっては大袈裟ですが)画家です。 pic.twitter.com/nyr2iaDWGg — カトウ・ニニ。 (@ninikatu) August 11, 2021 彼が手掛けたことがはっきりしているのは、“A Child’s Garden”というタイトルがつけられた6枚1組のポストカードセットのみ。出版されたのはイギリスで、時期は1918年から1940年の間──つまり第一次世界大戦が終わってから第二次世界大戦が始まる前までの期間のいつか──と、ざっくりしたことしかわかりません。 今もコレクションの対象として売買されているのを見ますが、6枚揃っていることはほとんどなく、大抵は1枚ずつ売られています。 6枚組のイラストのうち、冒頭にあげたほかの5枚は以下の通り。全部で6枚しかないので、当然ながらツイートしたものと被りますが改めて。 …ところで、ネット上で“Norman Hartridge”で検索すると、これらのポストカードのほかに数枚の絵画作品が見つかります。英国人らしいこと以外に画家の情報はなく、これが“A Childs's Garden”のノーマン・ハートリッジと同一人物だという確証もないのですが、几帳面なサインは、かなり似ているような気がしますね。 source:The Saleroom source:invaluable もしも同一人物だとすれば、元々は無名の風景画家であった彼が余技として、或いは手っ取り早く収入を得る手段として描いたのが、上記のポストカードセットだったのかもしれません。 結果的には画家とイラストレーター、どちらの道でも大成はしなかったようですが、にも関わらず、ごく一時(もしかすると生涯ただ一度だけ)描いたポストカードが80年以上も経った今でも人気とは、運命の皮肉とでもいうのか興味を引かれるところではあります。 ノーマン・ハートリッジがイラストレーターとして手掛けた仕事

ベップ・ヨルデンス (Bep Jordens)

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オランダの画家、イラストレーターのベップ・ヨルデンス(Bep Jordens, 1903-1987/別名義にElisabeth Wilhelmina Jordens または Bep Iordens)。 1920~30年代を中心に絵本やポストカードを描いていました。 少なくとも10冊以上の絵本を描き、1980年代末まで存命だったにも関わらず、その人生については生没年以外ほとんど何も見つけることが出来ません。 ベップ・ヨルデンスが手がけた絵本 Invaluable.com 同じオランダ出身のイラストレーター、ヘンリエッテ・ウィルビーク・ル・メール(1889-1966)やリー・クラマー(1887-1977)を彷彿とさせる作風は、彼女たちに比べるとやや線が硬いものの素朴な魅力があります。 上の4枚は“De familie Mummelgraag”の挿絵のポストカード “De familie Mummelgraag”(1931年)の本文はオランダ王立図書館のwebサイトDBNL内の こちら から閲覧、ダウンロードもできます

“Mor”あるいは“Mar”

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過去、大量に印刷され販売された古いポストカードや絵本など。 それらのイラストを描き、今でも収集の対象として人気を博していながら、本人についてはほとんど情報がないイラストレーターは少なくありません。 今回とりあげたイラストレーターは正確な名前さえわからず、ネット上で見つけることができる作品数も極めて少ない、ほぼ無名の人物です。 が、その数少ない作品がなかなかに魅力的。Pinterest等でしばしば見かけるのは、同じように魅力を感じる人がかなりいるということでしょう。 私は最初に見たイラスト(ポストカード)を何故かドイツのイラストレーター、ハネス・ピーターセン(1885-1960)の作だと思い込み、ごく最近まで、その間違いに気づいていませんでした。 明らかにピーターセンのものではないサインが入っていたのに、どうしてそんな思い込みをしたままでいたのか、ともかくそこから改めて本当の作者名を調べることに。 手がかりはそのサインのみ。私には“Mor”と読めますが、“Mar”だとしている人もおり、たまにネット上で販売されているのを見ても作者名などは書かれていません。 郵便配達員と少女を描いたものは、フランスの郵便博物館のコレクションにあるらしい情報を見つけたので、そちらのサイトを見てみましたが、目当てのものは探し出せませんでした。 こちらはフランス語ですが、同じイラストでポーランド語のものも確認しているのでヨーロッパの複数の国で出版されたものかもしれません(無許可でコピーされた可能性も大ですが)。 詳しい情報は無くとも名前くらいはすぐにわかると思ったのですが、甘かったようです。 作品(いずれもポストカード)は、ネット上で見つけたものがあと2枚だけ。 情報が何もない状態で記事にするのもどうかと思いましたが、かなり好きな感じのイラストなので、今後の調査継続を宿題として、ひとまず御紹介しました。 Via:Soloillustratori Via:Delcampe いつも思うのですが、たとえ小さな仕事でもイラストレーターの方々のサインは出来るだけ入れるようにしてもらえたら(その場合はもちろんフルネームに近いほど望ましい)、50年後100年後の人々が助かるんだけどなあ、と。 実際には著名な人でないと無記名のことも多いですが、むしろさほど著名ではなかった人の作品ほど、手がかりがあって欲しかっ

アリス・ビアード(Alice Beard)

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アメリカの画家、イラストレーターのアリス・ビアード(Alice Beard, 1867-1949)は、オハイオ州のシンシナティで生まれました。 19世紀末、或いは20世紀の初め頃から1940年代までと、かなり長いキャリアを持ちながら、その生涯についてはあまりよく知られていません。 イラストレーターで作家でもあり、後進の育成にも尽力したハワード・パイル(※注)に師事し、国立デザインアカデミーや全米女性芸術家協会などの様々な展覧会で作品が展示された記録が残っています。また、パリのサロンにも出展していたことがわかっており、ヨーロッパでも学んだ可能性があるかもしれません。 イラストレーターとして雑誌や本の挿絵を描いたほか、共著という形で自ら本の執筆もしています。  

ミロ・ウィンターのピーターラビット

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以前、1920年代に描かれた、 岡本帰一によるピーターラビット  を紹介しましたが、今回はミロ・ウィンター(Milo Winter, 1888-1956)によるものを。 ミロ・ウィンターは、アメリカのイラストレーターで「不思議の国のアリス」をはじめ「アラビアンナイト」や「イソップ寓話」など様々な物語の挿絵を描いています。 「不思議の国のアリス」の挿絵 (1916年) こちらの“ピーターラビット”の絵本は1930年代後半に出版された作品で(初版は1937年?)、文章はビアトリクス・ポターの原文をそのまま使用しています。 が、おそらくこれも無許可版。前回も書きましたが、当時はまだ著作権の制度──特に他国間における制度が今ほど確立しておらず、アメリカを中心に翻案やキャラクターのみ使用したオリジナルまで、沢山のピーターラビット本が出版されました。 面白いのは、このミロ・ウィンター版ピーターラビットが出版された時、ウィンターはすでに成功した著名なイラストレーターだったこと。このことからも当時の“無許可版”は、現代の“海賊版”とはかなりイメージの異なるものだったことが窺えます。