M. V. Wheelhouse (Mary Vermuyden Wheelhouse, メアリー・バーミュイデン・ホイールハウス)
英国の画家、イラストレーターで、玩具の製造・販売もしていたメアリー・バーミュイデン・ホイールハウス(Mary Vermuyden Wheelhouse)(1868-1947)。
名前の表記については、メアリー・V・ホイールハウス、または単にM. V. ホイールハウスとされることもあり、サインも多くは“M. V. Wheelhouse”です。
ヨークシャーの外科医で、英国医学協会の評議会議長等を務める傍ら、写真家でもあったクラウディウス・ガレン・ホイールハウスを父に持つ三姉妹の末っ子として生まれ、二番目の姉はバイオリニスト。
経済的にも豊かで、芸術的な環境にも恵まれた家庭で少女時代を過ごしたと考えられます。
画家として
1890年代半ば、メアリーはスカボロー美術学校でアルバート・ストレンジ(※①)に師事(後にパリにも留学したとされています)、王立芸術院などに作品を出展し始めます。
そして1889年─少なくとも1991年までには、ロンドンに拠点を移し、他の三人のアーティストと共同で借りたスタジオで制作に励みました。
作品は国内のみならず、パリのサロンでも展示されるようになりました。
こちらは水彩による風景画(制作年は不明)。油絵も描いていたようですが、そちらは見つけることが出来ませんでした。
※① 英国の芸術家。スカボロー美術学校の校長で、ヨットデザイナー。
イラストレーターとして
転機が訪れたのは1906年。
月刊誌(※②)のコンテスト企画に友人のクリスティーナ・ホワイトが文章を書き、メアリーが挿絵を描いて応募した物語が、“少女のための物語賞”を受賞。それをきっかけにイラストレーターとしてのメアリー・バーミュイデン・ホイールハウスが注目され、多くの仕事が舞い込むようになります。
オルコットやヴァージニア・ウルフ、シャーロット・ブロンテ等々。挿絵の仕事は1930年代初めまで続けていたようです。
また、女性参政権運動にも積極的だったメアリーはこの時期、運動を支援するための展示会にも度々作品を提供していました。
Facebookartrabbit.com |
玩具メーカーとして
1909年に父親が亡くなった後はスカボローに戻り、未亡人になった母親と当時はバイオリンの教師をしていた姉と暮らしていたメアリーでしたが、2015年にはアーティスト仲間のルイーズ・ジェイコブズ(※③)と共に玩具作りを始めます。
翌年、それらを“アーツアンドクラフツ・エキシビション・ソサエティ”(※④)で発表し、ロンドンに「ポモナ・トイズ(Pomona Toys)」と名付けた店を開きました。
ポモナ・ドール(写真 : マリオン・オズボーン) |
彼女たちの玩具で最もよく知られているのは木製の人形ですが、ドールハウスやドールハウスの家具も作っており、かの“メアリー王妃のドールハウス”(※⑤)にも作品が収められていることからも、その品質の高さが窺えます。
1922年までにルイーズ・ジェイコブズとのパートナーシップは解消されたようですが、その後1924~1926年までの間にA. B. エリスという新しいパートナーを得て「ポモナ・トイズ」は第二次世界大戦が始まるまで続きました。
※③ メアリー・V・ホイールハウスと同じヨークシャー生まれの芸術家。玩具作りをやめた後も絵は描き続けており、1930年代に展覧会を開いた記録が残っています。
※④ 1887年にロンドンで設立された協会。美術品や装飾芸術を展示する展覧会を定期的に開催していました。
※⑤ 以下のツイート参照
但しツイート内のリンクは切れています。
3/2はミニチュア等の小さいものを愛そうという #ミニの日 。
— カトウ・ニニ。 (@ninikatu) March 2, 2018
写真は1924年、ジョージ5世の妃メアリーに贈られた「メアリー王妃のドールハウス」─調度品はウィンザー城にある物の精巧なレプリカで、実際に電気や水道が使えるほか、ここの図書室に収める為だけに有名作家が作品を提供するなどしました。 pic.twitter.com/N1VtuFuupo
コメント
コメントを投稿